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フォルトゥナの瞳

映画の方はまだ観てませんが...


「フォルトゥナの瞳」百田尚樹

「フォルトゥナ」は幸運を意味するラテン語ですが、
主人公は「他人の死の運命」を視る力を持つことで、
その運命を変えようとすると自分の命を削って
しまうという葛藤を抱え込んでしまいます。

人は何のために生きるのか?
自分を犠牲にして他人のために生きられるのか?

以前に見た映画「かみさまとのやくそく〜あなたは
親を選んで生まれてきた」で、胎内記憶を持つ子供たちに
「私たちはなんのために生まれるの?」って聞くと、
全員が「人の役に立つため」と答えるのがとても印象に
残っています。

日本人は、いざというときには自分の命を顧みずに
人助けをするDNAが色濃く引き継がれているようで、
肉体的に厳しい状況でも精神力で日本のために
戦ってくれた兵隊さんたちや、東日本大震災で
公務についたまま亡くなられた方々が思い起こされ
ます。

「人生の唯一の意義は、人のために生きることである」
トルストイ

主人公は愛する人や将来のある子供たちを救うために、
ある行動にでます.....

(ちなみに、私がボランティアでやっているイネイト療法は、
 他人が健康になると自分も健康になるという、ありがたい
 健康法です。 自己犠牲が無い分、サムシング・グレートに
 お任せして、無心に施せます。)


運命というものはあるのだろうか?

この本の中にも「人は1日に9000回の選択をしている」
話がでてきますが、パラレルワールドを信じるかどうかに
関わらず、日々の出来事は「自分の選択×他人の選択」で
決まるという感覚はあります。

三条クラフトフェアに向かうため新潟県の胎内市から
新発田市に向かう290号線で、前の車が変な動きをするので
車間距離を多目にとっていたところ、反対車線に完全に
はみ出したところに対向車線からトラックが.....
悲鳴のようなクラクションの音で正気に返ったのか、
あわててこちらの車線に戻り、間一髪で衝突を免れました。
居眠り運転と思われましたが、少しタイミングが悪ければ、
私の車も巻き込まれただろうことは想像に難くないです。

車を運転していると、少しタイミングがずれていたら
危なかったと感じることはよくありますが、
その度に守護霊?さんへの感謝の気持ちを心の中で
唱えています。

「過去も未来も存在せず、あるのは現在と言う瞬間だけだ。」
トルストイ

現象としてはそうなのですが、過去の選択が現在を作っている
ことは確かです。


「フォルトゥナの瞳」は三条市のホテルで2晩かけて
読了しましたが、色々と考えさせる物語でした。


人は様々な経験を自分の人生観に取り込むために
物語を必要としていることを実感しました。

青い帽子

ピアノが大好きな少女がいました。

音楽好きな両親の影響で、小さい頃から白と黒の
鍵盤をその小さな指でポーンとたたいては、嬉そうに
笑うのでした。

そして誰に勧められるのでもなく、自然にピアノを
弾くようになりました。

小学校にあがると、やはりピアノを弾く男の子と
友達になり、学校の行きかえりにはいつも一緒に
手をつないで歌をうたいながら歩いていました。

ところが卒業式の日、
「わたしんち、引っ越すことになったの。」
「えっ、どこへ? 中学は?」
「外国なの。」
「えっ.....」
「もう会えないかも。」
「.....」
「ねえ、リパッティって知ってる?
 これ私が一番好きなレコードなの、毎日毎日まいにち
 聞いてるの。 でも、お引越しの荷物になるから
 持っていけないの。
 これ、もらってくれる?」
「う、うん、いいよ。大切にするよ。」
「よかった。 これで、もう思い残すことないわ。」
「なんか、死んじゃうみたいな言い方じゃん。」
「そうね、ごめんなさい。」
「そっか、じゃあ、そっちに着いたら手紙書いてね。」
「うん、じゃあね。 大人になっても、そのレコード
 聴いたら、わたしのこと想い出してね。」.......


男の子はレコードを聴いてみました。
ショパンのピアノ協奏曲第1番、ピアニストはディヌ・
リパッティ。

小学生の頃はモーツァルトが好きでピアノでも弾いていた
けれど、ショパンの曲を聴くと、なにか胸がドキドキするのを
感じることがありました。

そして今、少女が大好きだと言っていたこの曲を聴くと、
なにか例えようのない甘酸っぱい想いで胸がいっぱいに
なってしまいました。


あれからいつまでたっても、少女からの手紙は来ません。

そしてある日、少女が入院しているらしい、と言ううわさを
耳にします.....「白血病って言う、治らない病気らしい」...

その病名は、レコードの解説にも書いてあったので、知って
いました。

少年は、少女がなぜそのレコードを大切にしていたか、
それを思うと急に熱い想いで胸がいっぱいになりました。


少年はそれからというもの、毎日まいにち、そのレコードを
聴き続けました。 
聴くたびに、小学校のころが思い出されてなりません.....


そんなある日、少年の目はある新聞記事に釘付けになって
しまいます。
「.....その録音はディヌ・リパッティのものとされてきたが、
 実は別人の演奏であることが判明.....」


「あの子があんなに好きだったリパッティが、あんなに
 好きだった演奏が、.....別人のものなんて!」

「あの子に知らせなくちゃ、早くしないと.....」


それからというもの、少年は少女のいる病院をさがしまわり、
やっとのことで見つけ出します。


病室に入ると、少女は青い帽子をかぶってベッドに座って
いました。
「やあ、久しぶり、手紙くれないから、僕のことなんか
 忘れちゃったかと思ったよ、探すの大変だったんだぜ。」
「あ、ごめんなさい、あの時のまま...想い出に残して
 おきたいな、って。 でも、ありがとう、来てくれて。
 本当は、.....あ・い・た・か・った.....」

少年はあふれそうになるものを、ぐっとこらえました。

「あのレコードだけどさぁ.....」
「あれね、リパッティの、.....また聴きたいなぁ」
「うん、.....じゃあ、こんど持ってくるよ」
「おねがいね」
「毎日、聴いてるんだ、あれ」
「そう、うれしいな、きっとリパッティも天国で喜んでる
 わね」
「.....そうだよね、ぜったいそうだよ、うん.....」
「きょうはありがとう、少し疲れちゃったから休むね」
「うん、じゃあね、元気になったら...また、ピアノを
 一緒に弾こうね」
「うん、バイバイ」
「バイバイ」

病室をでた少年は、こらえていたものがあふれそうになり、
ポツポツと降り出した雨の中へ、傘もささずに走りだし
ました。

少年は、頬をぬらすのが雨なのか、それとも涙なのか、
流れるままにそのまま走り続けました。



大人となった少年は、もうそのレコードを毎日聴くような
ことはなくなりました。

でも一年に一回だけ、そのレコードを聴きながら、あの日の
少女の最期の笑顔と、なにか甘酸っぱい日々を想い出す
のでした。


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この物語は、その偽リパッティ事件(?)があった後に、
ラジオドラマでやっていた話(と言っても、「あの子に
知らせなくちゃ」っていうところしか覚えていない)を
もとに、脚色してみたものです。

別のブログ「感動した!この曲あの曲」にリパッティの
ことを書いていて思い出したので、つい、物語って
しまいました。


その当時、録音が少なかったリパッティだけに、
各地の放送局に残っているものの中で演奏者不明の
録音を聞いたリパッティの未亡人が「夫の演奏に
違いない」と言ったことで、本人のレコードとして
発表されてしまったのです。

レコード愛好家の指摘があって、検討した結果、その昔、
ショパンコンクールで優勝したハリーナ・チェルニー・
ステファンスカの録音と同じものと判明しました。

その直後に、奇跡的というか、一生懸命に探したの
でしょう、本当にリパッティ本人の演奏が見つかり、
発売されることになりました。

ちなみにそのレコードでリパッティと思わせるほどの
素晴らしい演奏を披露しているステファンスカは、
東京芸大でも先生として多くの日本人ピアニストを
育てましたし、ショパン・コンクールでも永らく
審査委員を務めていました。

写真はエネスコと幼いリパッティです。


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